世論がどうだろうが景気・業績がどうだろうが労働者の権利は主張しましょう
アリさんマークの引越社の労働裁判のつぎは外国人労働者の特集やるのか>『ガイアの夜明け』。経済系の番組でもこういうことを普通にやるようになったのは本当に時代の変化を感じますね。自己責任論が吹き荒れてた2000年台初頭には考えられない状況です。
— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) July 25, 2017
派遣会社の経営者(奥谷禮子)が労働政策審議会のメンバーに選ばれたうえ「(過労死は)自己管理の問題。他人の責任にするのは問題」などと言い放ったのは2006年。当時も野党はじめ多くの批判を浴びたが、同種の言動をする経営者は珍しくなかったし同調者も多かったことをよく覚えています。
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私自身氷河期世代で周りに非正規雇用やいまでいうブラック企業みたいなところで働いている友人・知人も少なくなかったし度々デモなどにも行きましたが、自分たちの苦境を訴えてもそれがきちんと受け止められず、逆に自己責任だと言われてしまう状況にはつくづく失望したものです。
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でもそこで諦めるのではなく、問題を問題として丁寧に訴え続けた人や闘い続けた人、それを支え続けた人がいたからこそ社会の側の認識が変わったんですよね。当時の絶望的な状況をよく知る人間として、そうした人たちには心から敬意を表します。
— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) July 25, 2017
でもね、当時だって若者の労働問題について改善すべきと訴え続けていた政治家や有識者はたくさんいたのに、それを大きな力にできなかったのは、やはり当事者であった私達自身の行動や選択にも問題があったと思うのです。
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ただ不満を訴えるだけで権利を行使しようとはしなかった。「見捨てられた」と嘆くばかりで自分達で立ち上がることをしなかった。自分の隣で苦しんでいる同世代に対して「俺はあいつらとは違う」と見下すばかりで一緒に手を取り合って立ち上がろうとはしなかった。私が見てきたのはこういう光景です。
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同じ氷河期世代ですら「勝ち組/負け組」に分裂して下らない自意識争いをしていたんですよね。上の世代はもちろん同じ世代からも自己責任論を向けられるのが当時の状況だったんですから。時流に流されるだけでそれを変えようという努力をしなかったのが氷河期世代なんだろうな、といまになって思います
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もちろん社会状況などを考えれば仕方なかった部分もありますし、その結果を「氷河期世代の自己責任」などと言う気もありません。けれども当時の状況をよく覚えている人間として、氷河期世代の当事者として「もう少しなんとかできなかったのか」とずっと考えていることは事実です。
— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) July 25, 2017
未だに当時の思考を捨てられず、権利を訴える他者の足を引っ張るような真似ばかりしている人間が同世代に少なくないことは本当に残念でなりませんが、氷河期世代のひとりとして後の世代には「どんどん権利の主張をして自分たちのことを守れ。俺達と同じ轍は踏んでくれるな。」と思うばかりです。
— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) July 25, 2017
「景気が良くなれば労働環境も改善する」とか「デフレなのが全て悪い」みたいな話を鵜呑みにしちゃだめですよ。景気が良くなったって権利の主張をしないと労働環境はよくなりませんし、そもそも労働者の権利は景気によって左右されるような軽いものではないですから。
— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) July 25, 2017
景気がどうだろうが業績がどうだろうが労働者の権利は権利として主張する。それを守れない企業には社会から退場していただく。それが健全に行われるよう行政がしっかりと監視する。法に過不足があれば政治がそれを改善する。それがあるべき社会です。だから労働者はガンガン権利主張しましょう。
— 董卓(不燃ごみ) (@inumash) July 25, 2017
よく努力不足とかいいますけど、仕事頑張ったり資格取ったりすることだけが努力ではないです。
自分の権利を主張して積極的に発信していくのも努力です。